清楽「碁」物語

清楽『碁』物語「囲碁のはじまり」

この物語は囲碁クラブ「清楽」の席亭、宮国利一氏が書いた物語です。

囲碁の普及に役立てようと、自費出版まで考えていたのですが途中で断念。かなりの大作で、このまま埋もれてしまうのはもったいないと思い、このサイトで紹介する事にしました。

「入門書」として作られていますが、宮国氏の「碁」に対するとらえ方が独創的で面白く、碁に対するひとつの考え方として参考になる部分もあると思います。

小分けして紹介しますので、移動時間等、空き時間にでもお楽しみいただければ幸いです。
(※若干の編集は入ってますが、構成や内容は原稿のままです。)

はじめに。

はるか昔、子供たちは親が獲った獲物や収穫物の番をするため、石を置いたり、縄をはったりしてテリトリーを主張した。

「囲碁」の成り立ちである。

雨や嵐にあえば、番小屋や岩陰でドングリ、小石などを集め、お手玉、石蹴り、おはじきなどに興じる。退屈などしておれない。親たちも加わっただろうか。

やがて誰かが地面に線を引く。

四角の中に縦と横の線を入れると「何か」のゲーム盤ができあがる。さらに線を加えてみて、盤と駒(ドングリ、小石、貝殻など)があれば、どんなゲームでも思いつく。

遊び好きな子供たちは、こうしてあらゆるゲームを創っただろう。「碁」のルールが単純明快な当然の理由だ。

五路盤からはじまって、やがて線を増やしていく。子どもたちが夢中になるのは、テリトリー争いとイメージが重なるからか。

あるいは、「重たい石を入れ物から盤上に早くたくさん運び終えるゲーム」だったかもしれない。うまい仲間とやるとせっかく運んだ石を自分の入れ物に戻されたり。

「碁」の遊びも九路盤くらいに進むと親たちも熱中した。その昔、碁は子供たちが親に教えたものだった。

 

二十一世紀の今、各地で碁の手ほどきをしているようだが、なにやら力技の感じで苦闘している報告が多い。

碁の打てる人なら、その魅力を伝えようと家族や仲間に手ほどきをし、入門書を与え叱咤激励した経験があるはずだ。そのうち、教える側も教わる側もくたびれて熱がさめる。

なぜだろう。碁を覚えた人は、まるで偶然か不思議な「稀」な人。

 

はるか昔は、子供が親に「碁」を教えたのならば、我もあなたもはるか昔に還って子供たちと一緒に「碁」を創ってみよう。

だれでも簡単に覚えて、すぐ打てる「親子の碁は世界の碁」だ。まず二十級をめざしてのんびりいきましょう。

お母さん、碁はこんなゲームです。はじまりはじまり。

この「はじめに」は、囲碁教室「清楽(せいらく)」の「清楽便り」から引用したものである。さらにこんな事も書いてある。

“「一生の友」や「キング・オブ・ゲーム」などと呼ばれる「碁」は、遠い昔、子どもたちが小石などを並べていたのが始まりと考えられます。

いたって簡単な4つほどのルールで「相手より多くの石を盤上に残す」事を目的としたわかりやすいゲームです。こんな単純なルールの囲碁が、とても奥深く楽しいわりにあまり広がらないのは、今までの教え方に原因があったのではと考えられます。

当教室では、この教え方の問題点を克服し指導方法をシステム化しました。この方式で入門者もすぐに次の入門者へ教える事が可能になったのです。”
ここまで読んで筆者は半信半疑で教室へ出かけました。

 

今回は、この物語の導入部分「はじまり」をお伝えしました。次回から「清楽囲碁教室」に入っていきます。3人の生徒と先生が登場し、会話形式で進められていくので、読みやすいかと思います。お楽しみに♪

 

著者の宮国利一さんをちょこっと紹介します。

県代表に何度も選ばれている沖縄囲碁界レジェンドの1人です。囲碁の腕は相当なもので、最近二子局でボコられましたw(参考:ぬちまーす杯

本人は、声が大きく威圧感がありますが、囲碁の打ち筋は繊細?な感じがします。(筋が良いというのでしょうか?)沖縄の囲碁は力碁が多く、あまりキレイな感じがしませんが、宮国さんはお手本のような碁を打ちます。

また、とっても勉強家で囲碁の歴史やルールの研究もしっかりやっておられました。

「はじまり」で紹介したように、「相手より多くの石を盤上に残す」と書いていますが、中国ルールではなく「世界統一ルール」を目指したもの(後々出てきます)で、様々な角度から「囲碁」を捉えているなと感じます。

また、NPO法人「清楽」の代表として囲碁普及に尽力されています。

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