清楽「碁」物語

清楽「碁」物語 第二部

清楽囲碁教室の第二部です。

先日、宮国さんのとこへ足を運んでいろいろお話を聞いてきました。いろんな事を話されていましたが、この碁物語にその思いを綴ったのではないのかなと感じました。

素人が書いた文章なので、読みにくい部分も多々ありますが「碁」の捉え方の1つとして読んで頂ければと思います。

 

翔のお父さんから王先生への手紙

王先生こんにちは。お世話になっている翔の父です。

先日、翔は「碁」が打てるようになったと喜んでいました。私も十代のころ有段者を目指し碁に熱中していたので、親子で碁が打てるようになると喜んでいます。

さて、さっそく九路盤で親子初対局となりましたがいくつかの疑問が生じました。

1.碁の終わりかた

「ダメ」を交互に打っていくのはいいとして、「ダメ」を打ち終わると次は自分の地の中に打つのです。それは損だと言っても、「石をたくさん残すのが碁の目的と教わった」と言い張るのです。

このことは先生が中国方式を教えておられるのですか?中国ルールもいいですが、翔は今のところ日本人としか打つ機会がありません。困ったことにならないでしょうか?

2.審判

碁の終わりは、「両対局者がパスを宣言し、終局に合意したら審判を呼ぶ」とのご指摘には、なるほどと感心しました。しかし、これも普通の対局で審判は大げさではないでしょうか?

3.石の生き死にと地

入門者なので仕方ないかもしれませんが「活き石と死に石」「地」も教わっていないとの事ですが、これからの事でしょうか?また、日本流に切り替えるとき、翔が混乱するのではと心配しています。どうか正しい碁を打てるようにしてやって下さい。

 

私の碁は8級位です。いつか、教室を訪ねたいと思っております。それでは、今後とも翔をよろしくお願いします。

 

王先生から翔のお父様への返信

お手紙でのご指摘ありがとう。お父様も碁を打たれるそうですので、ご理解が早いと思います。

自分の地に打つ事について

碁の目的は、「盤上に相手より多くの石を残すこと」ですから、自分の石が置けるところは全部置いていきます。そして最後は、相手の打てぬ点を二点残して終わります。ただしこれは、清楽囲碁教室で入門者に碁を早く理解させるために教えている方法です。

しかしながら、この方法が碁の原型だとも考えられるのです。原型だと推論される理由などはのちほど示しますが、いずれにせよ、この方法だと入門者の理解が早いのです。

従来の教え方のほとんどは、石の取り方を教え、それとは別に領地(陣地、あるいは地)が多い方が勝ちと教えます。これは一見当たり前に思えます(碁を知っている人には)が、入門者はここでつまづいているのです。始めにいくつかの公理みたいなものを定義し、あとはその人の論理的思考で先に進めるようにしたのがこの「清楽方式」です。

例えば、目的「盤上に相手より多くの石を残す」をはっきりと示してあげれば、石を取ったり取られたりする事の効果が六歳児くらいからでも理解できるはずです。

それを、「取った石は保管して置いて、終わりに相手の地を減らすのに使う」などとしては、本当に碁を覚えるのは不思議か偶然の産物と言いたくなります。こんなことは初心者にとって「明けるときがなかなか来ない、夜中の山道を歩くようなもの」で、くたくたになってしまいます。

それでも、熱意のある指導者の粘り強い指導に恵まれて碁を覚えてしまう人たちもいますが、碁を覚えたい多数の潜在的な欲求にはまだまだ応えきれていないでしょう。

審判の指摘について

次に、審判はあまり必要ではないとのご指摘についてですが、もちろん二人だけでも碁は十分に楽しめます。

「碁は碁盤を三人で囲んで打つ」から囲碁という説もあるが、二人が対局者で一人が審判(立会人)だ。この審判は見物人だったり棋譜とりだったり、または対局者の次の相手だったりしますが、いずれにせよ碁は三人単位が当教室の方針です。そしてまた、碁も競技であり、第三者の公平な目が注がれていれば、自ずからマナーやエチケットにも意を注ぐはずです。「三人からは世間」と言われるように、社会性も身に付くでしょう。つまり、「待った」や「はがし」をしない雰囲気も必要です。

石の活き死にと地について

この教室では石の活き死には説明しませんが、しいて言えば盤上に置かれている石は活点を持っており、活点が無くなった石は盤上から取り除くだけです。「死活」は詰碁の用語だと理解して下さい。実戦では、活点のある石は何らかの働きをしていることも多いものです。

また、15級くらいまでなら「活き死に」とは「相手の石が打てない二点を持つ石」だったり、セキなどで盤上にある石との説明でいいでしょう。最後まで盤上にある石は得点になります。

29級くらいの対局では、活点がない石が盤上に残ったりしますが、それはそれで盤上の石として得点にするか、審判(このケースでは指導者)が何らかの措置を取る(例えば打ち直しなど)わけです。そして小さな盤と白黒のコントラストはなかなか目に馴染まないので、「柔らかい目線でしっかり見る」そのためには「姿勢をよくする」のがコツですと付け加えたりします。

また、セキを覚えた26級位の対局者が三目中手や四目中手を「セキ」だと判断したら、それは「セキ」で双方の得点となります。このようなケースで、指導者としてはいろいろな中手や捨て石を使って石を取り上げる技術を披露したい所ですが、ちょっと待って下さい。

ここで、碁を教える立場なら中手の事よりまず「セキとして判断した事実」を喜び二人に賛辞を送るのが先です。そして、そのあとも別に中手を説明しなくてもいいのです。

ここでは、対局者より少し前に進んでいるもう一人の仲間にでも見せて感想を言わすか(答えを知っているかもしれない)20級位になると、この形について別の見方が出来るかもしれないと示唆するのです。あまり教え込まず感想などで暗示し「碁を創る過程」に参加させることです。それも急がずゆっくりのんびりと。

次に「地」については、地が少ない方が先に「パス」をする事になり、地とは戦いやヨセが済んだあと「石が置けて得点が増やせるところ」との概念が身に付くでしょう。盤上の石が得点なら「地の多い方が勝ち=自分の石が多く置ける」ということと「石を取る=相手の得点を減らす」ことの結びつきが難なく理解できます。数局打った後に、地が広い方が結局、たくさんの石を残せることを示唆します。

碁は、石をたくさん残すために自分の石を取られないようにする(相手の石を取る)か地を囲うか(相手に囲わせない)かを競っているわけである。これなら「石取り」と「地」とが関連して理解できるでしょう。

翔のお父様へ
先生から

次の章では、現行の碁と清楽の碁の違いを説明します。ぜひお読みください。

ここからは、碁の勉強というより歴史やルールについての章が多くなってきます。宮国氏の推察が多く入っていますが、なかなか面白い考察もあるのでお楽しみに~♪

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