清楽「碁」物語

適情録レビュー

1500年代に作られた囲碁の本で、全20巻の大作。忘憂清楽集や玄玄碁経をまとめたやつらしい。

まー、分かりやすくいうと、すっごい昔の囲碁の本ってことですね。

んで、この適情録の内容はとても神秘的で凄いんだよってことを、宮国氏が解説しておられます。

適情録のお話

日本の国にも紹介さs㋹ている中国の書物「適情録」全20巻がある。明代十六世紀に発行された碁の本だ。

その日本語版第二十巻には、「これは碁の本だが」と断ってから「易経」という学問の成り立ちが説明され、その八卦の内容などが、こと細かく載っている。

そうかと思うと、天体の運行図や四季の循環から暦法の神秘的成り立ちの説明などがあったあと、「360」という数字の共通項で両者を結び付けるのである。

まこと壮大な論説と感嘆せざるを得ない。

つまり、神秘的な天体の運行をもとに作られた実用的でもある暦の対偶に、これまた実用文物の碁盤を置き、お互いに光を投射しあうことによって、碁盤にも、ひいては碁にも天文と易経の神秘性を移行し、相照らそうと趣向である。

碁盤も天元の数を引くと360ではないかという意味だ。

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私が「天の声だろう」と言ったのを理解できますか?決して博士たちが自分の専門分野の学問だとは言え、打ち合わせなどでは思いつかない内容になっているのである。

以心伝心、天の声がかの博士や大臣に伝わり、さらに時空を経て以心伝心。

この言葉をこうして使っていいのかどうか知らないが、他に言葉が見つからない。勘弁してくれ。

19路の碁盤が王室に飾られたのが漢の時代、紀元前後と仮定してみても、1500年が経っているのだよ。時空を超えた壮大な叙事詩と嘆じても、筆舌に尽くせずと欺いても、こんな形容などでは届かない大きさなのである。

もちろん、長い永い時間と、すさまじいエネルギーが費やされている。

これらは、誰が誰に命じ、いつごろの時代からいつごろまでの作業でこんな形に成り、そしてなにより、何が目的だったのか。

もちろん、公にされていない書物などで、これらの事は現在に伝わっている事も考えられる。あるいはこれからの調査研究などで意外な事実が現れないとも限らない。

この適情録の著者、林応龍の「まえがき」に大意、次のようにある。

弘治年間(1488年~1505年)に、日本から渡って来た「虚中」という僧が博学で、文章も巧みであり、碁も上手で「決勝図」2巻を著した。とても立派だったのでそれらを思い出しながらなお、いろいろな棋譜やほかの棋書などからも取り入れ織り交ぜ、図説なども加えて全20巻として私の著書とした。

とても自信満々で「この著を世に問う」と言う雰囲気である。

「あとがき」もある。

囲碁の数としては、天地人を3とし、4時を2つに分けて、天地を覆い尽くす道理である。

という1行から始まり、あとは伝聞と推測を自ら否定してみたりする湾曲的表現で始終する。

囲碁は易か暦かいずれかの関係者の作ったものではなかろうか、とても昔の伝説にくみすることは出来ない。いずれにしても聖人でなければ作れない。しかし、いろんな説も文献が不十分だ。

などと書き、繰り返し読まないととても分かりにくい、おぼろな文になっている。しかし、何回読んでも曖昧だ。

結びに、囲碁がただの遊びではないという感じで言っている。

こういう文を書くテクニックをなんと呼ぶのだろうか。レトリックと言うか。

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この適情録には「碁経」という碁の打と方、心構えなどを書いた章も19巻に添えられている。この「碁経」の文章が、歯切れがよく講談調の名文であるだけに、自信満々の「まえがき」は何かを意識しながら書いている感じなのだ。

もちろん、日本語訳を見ているのだが原文の雰囲気と大きく違うということもあるまい。

この本は高価だが、滅多にない内容の本で人類の遺産のひとつと言っても過言ではない。読まずに所蔵してもいいし、詰碁なら実用書でもある。

また、「碁経」を読むと人間まで上等になったような気がし、碁も一段と強くなる。

もっとも「碁経」は「適情録」より古いと言われる「玄玄碁経」(14世紀)や「忘優清楽集」(11世紀)にも載ってはいる。

そろそろ本題に戻ろう。切り賃が現代の碁からどうして無くなったかだ。章を改めて、また話す事とする。

おやすみなさい。

※その頃1年は360日だったそうな。

 

宮国氏が絶賛する「適情録」を探したんですが、なかなか見つからないですね。古本屋とかにありそうだけど、どうだろ。

一応amazonでは玄玄碁経が見つかりました。興味のある方は是非。

 

 

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