碁になるのは五段から?~囲碁の“本当の面白さ”が見えてくる境界線~

「五段くらいから、やっと“碁になる”んだよ」
囲碁好きのあいだで時々耳にする、ちょっと耳の痛いこの言葉。
え? 初段じゃダメなの? 三段でもまだまだ?
しかも「お前の碁はまだ三か四だ。碁になってない」と言われたら……ちょっとへこみますよね。
でも実は、この言葉には囲碁の奥深い真理が詰まっているんです。
今回は、「碁になる」ってどういうこと? という素朴な疑問から、三段~五段でどう進化していくかを優しくひも解いてみましょう。
初段までは“打てるようになる”期間
囲碁を始めてしばらくは、「ルールがわかる」「手筋が少しずつ使えるようになる」「終局まで打てる」――そんな基礎固めの時期です。
級位者から初段まではいわば“囲碁の読み書き”を学ぶようなもの。たとえば:
- 定石や布石を覚える
- 石の形を理解する(空き三角は避ける、など)
- コウやセキなどの特殊ルールを理解する
- 終局のマナーや計算に慣れる
このステップを経て初段になると、「囲碁がちゃんとできる人」として堂々と名乗れます。
三段くらいから「石が形の急所に行く」
三段くらいになると、だんだん石の配置に“意味”が出てきます。
つまり――
石が自然と形の急所に行くようになってくるんです。
・切断の防止や
・眼形を壊す一手
・相手の石の弱点をつく手
こういった手が感覚で打てるようになり、「形」の力を借りて碁がまとまるようになります。
それでもまだ“碁になってない”――なんて言われるのがこのあたり。
四段~五段、「碁になる」とはどういうことか?
では、「五段から碁になる」とはどういう意味でしょう?
一言で言えば、碁に“理(ことわり)”が宿るようになる、ということです。
五段レベルになると、石の配置や展開に棋理=碁の理屈が伴い始めます。
- ここを厚くしたから、あそこに打てる
- 相手の模様を消す代わりに、自分の地を確保する
- 捨て石に意味がある
つまり、一局を通して“理由ある選択”ができるようになるのです。
沖縄にも「碁になってる」打ち手たちがいる
沖縄の囲碁界には、そんな「碁になってる」強豪がそろっています。
- 金城伸彦六段(若手の実力者)
- 玉那覇順秀六段(県代表まだ?)
- 国仲尚六段(沖縄囲碁界のトップランナー)
- 渡嘉敷亮六段(攻守バランスのとれた本格派)
彼らの碁は、部分の手筋だけでなく、全体の構想や石の効率が見事に計算されています。
“碁になってる”とは、まさにこういう碁のことを言うんだなと感じさせてくれます。
「碁になる」ために必要なこと
「五段から碁になる」なんて言われると、まだ初段の自分には関係ないと思ってしまうかもしれません。
でも実は、その入り口は誰にでも開かれています。
大切なのは、次の3つ。
- 負けても反省を楽しむこと
- いろんなスタイルの碁を見ること(棋譜並べ)
- 信頼できる仲間や先生と打つこと
沖縄には、そういった学びの場が増えています。
「囲碁 教室 沖縄」で検索すれば、初心者向けの教室やイベントもちらほら。
「囲碁 初心者」向けの体験も広がっています。
「碁になる」は通過点じゃない、始まりだ
五段から“碁になる”――
それは通過点ではなく、**「ようやく囲碁の面白さが本当にわかってきた」**というスタートラインでもあります。
「お前の碁はまだ三か四だ。碁になってない」
そう言われて悔しくても、それを糧にできる人こそが、碁になる人です。