囲碁コラム

【清楽 碁物語 第5話】翔のお父さんからの手紙「石の数で勝ち負けって大丈夫?」

第4話で第一部が終わり、今回から第二部です。

碁が打てるようになって大喜びの翔くん。ところが、昔は有段者をめざしていたお父さんと打ってみると、親子で話がかみ合いません。お父さんは王先生に手紙を書きました。

日本のふつうのルールで碁を覚えた人なら、きっと同じ疑問を持つはず。王先生はどう答えるのでしょうか。

📌 この回でわかること

  • お父さんの3つの疑問(自分の地に打つ/審判/生き死にと地)
  • 清楽式が「石の数」で教える本当の理由
  • 「石取り」と「地」が、どうつながるのか

原稿を紹介する前に、ひとつだけ。先日、宮国さんのところへ伺って、いろいろお話を聞いてきました。宮国さんはこの物語に、囲碁を広めたいという思いを込めたのだと感じました。「碁」のとらえ方のひとつとして、楽しんでいただければうれしいです。

📖 原稿より

翔のお父さんから、王先生への手紙

王先生、こんにちは。いつもお世話になっている、翔の父です。

先日、翔は「碁が打てるようになった」と喜んでいました。私も十代のころは有段者をめざして碁に熱中していたので、親子で碁が打てるようになってうれしく思っています。

さっそく九路盤で親子初対局となりましたが、いくつか疑問がわいてきました。

1.碁の終わりかた
ダメを交互に打つのはいいとして、ダメを打ち終わると、翔は次に自分の地の中に打つのです。損だと言っても「石をたくさん残すのが碁の目的だと教わった」と言い張ります。先生は中国式を教えておられるのでしょうか。中国ルールもいいのですが、翔はいまのところ日本人としか打つ機会がありません。困ったことにならないでしょうか。

2.審判
「両対局者がパスを宣言し、終局に合意したら審判を呼ぶ」というお話には、なるほどと感心しました。しかし、ふつうの対局で審判というのは大げさではないでしょうか。

3.石の生き死にと地
入門者なので仕方ないのかもしれませんが、「活き石と死に石」や「地」はまだ教わっていないそうですね。これから教わるのでしょうか。日本式に切り替えるとき、翔が混乱しないか心配です。どうか正しい碁が打てるようにしてやってください。

私の碁は8級くらいです。いつか教室を訪ねたいと思っています。今後とも翔をよろしくお願いします。

王先生から、お父様への返信

お手紙でのご指摘、ありがとうございます。お父様も碁を打たれるそうですから、話が早いと思います。

自分の地に打つことについて

碁の目的は「盤上に相手より多くの石を残すこと」ですから、自分の石が置けるところには全部置いていきます。そして最後は、相手が打てない点を2つ残して終わります。これは、清楽囲碁教室で入門者に早く碁を理解してもらうための方法です。

しかし、この方法こそが碁の原型だとも考えられるのです。その理由はのちほど示しますが、いずれにせよ、この方法だと入門者の理解が早いのです。

これまでの教え方のほとんどは、石の取り方を教え、それとは別に「領地(陣地、地)が多いほうが勝ち」と教えます。碁を知っている人には当たり前に思えますが、入門者はここでつまずいているのです。

清楽式では、はじめにいくつかの「公理」のようなものを決めておき、あとはその人の論理で先へ進めるようにしました。たとえば目的「盤上に相手より多くの石を残す」をはっきり示せば、石を取ったり取られたりすることの意味が、6歳くらいの子どもにもわかるはずです。

それを「取った石はとっておいて、終わったら相手の地を減らすのに使う」などと教えては、碁を覚えられるのは不思議か偶然の産物と言いたくなります。初心者にとっては、「なかなか夜が明けない、真夜中の山道を歩くようなもの」で、くたくたになってしまいます。

それでも、熱心な指導者に恵まれて碁を覚える人もいます。しかし、碁を覚えたいという多くの人の気持ちには、まだまだ応えきれていないでしょう。

審判について

もちろん、2人だけでも碁は十分に楽しめます。

「碁盤を3人で囲んで打つから囲碁」という説もあります。2人が対局者で、1人が審判(立会人)です。審判は見物人だったり、棋譜をとる人だったり、次の対局者だったりしますが、いずれにせよ「碁は3人単位」が当教室の方針です。

碁も競技です。第三者の公平な目があれば、自然とマナーやエチケットにも気を配るようになります。「3人からは世間」と言うように、社会性も身につくでしょう。「待った」や「はがし」をしない雰囲気も大切です。

石の活き死にと地について

この教室では、石の活き死には説明しません。しいて言えば、盤上の石は活点を持っていて、活点がなくなった石は取り除くだけです。「死活」は詰碁の用語だと考えてください。実戦では、活点のある石は何かしらの働きをしていることも多いものです。

15級くらいまでなら、「活き石」とは「相手が打てない点を2つ持つ石」や、セキなどで盤上に残る石、という説明で十分でしょう。最後まで盤上に残った石が得点になります。

29級くらいの対局では、活点のない石が盤上に残ったりもします。そのときは盤上の石として得点にするか、審判(この場合は指導者)が打ち直しなどの措置をとります。小さな盤の白黒はなかなか目になじまないので、「やわらかい目線でしっかり見る」、そのためには「姿勢をよくする」のがコツだと付け加えたりもします。

また、セキを覚えた26級くらいの人が、三目中手や四目中手を「セキ」だと判断したら、それは「セキ」で、双方の得点とします。指導者としては、中手や捨て石を使って石を取り上げる技を披露したくなるところですが、ちょっと待ってください。

教える立場なら、まず「セキだと判断できたこと」を喜び、2人をほめるのが先です。中手の説明は、しなくてもいいのです。少し先に進んでいる仲間に見せて感想を言ってもらったり(答えを知っているかもしれません)、「20級くらいになると、この形の別の見方ができるかもしれないよ」とほのめかしたりする。あまり教え込まず、「碁を創る過程」に参加させることです。それも、急がず、ゆっくり、のんびりと。

次に「地」について。地が少ないほうが先にパスをすることになるので、地とは「戦いやヨセが終わったあと、石が置けて得点を増やせるところ」という感覚が身についていきます。盤上の石が得点なら、「地が多いほうが勝ち=自分の石がたくさん置ける」ことと、「石を取る=相手の得点を減らす」ことが、すんなり結びつきます。何局か打ったあとで、「地が広いほうが、結局たくさん石を残せるね」とほのめかすのです。

碁とは、たくさんの石を残すために、自分の石を取られないようにする(相手の石を取る)か、地を囲う(相手に囲わせない)かを競うゲームです。こう考えれば「石取り」と「地」がつながって理解できるでしょう。

次の章では、いまの碁と清楽の碁の違いを説明します。ぜひお読みください。

王より

編集部のひとこと

お父さんがいちばん気にしていた「自分の地に打つ」問題。じつは、石の数で数える方式なら、自分の地に打っても損はしません(地が1つ減るかわりに、石が1つ増えるだけ)。損になるのは、地だけを数える日本式のときです。

つまり、翔くんは清楽式としては正しく打っていたわけです。日本式に切り替えるときは「最後に自分の地を埋めなくていい」と伝えるだけ。お父さんの心配は、きっと取り越し苦労ですね。

そしてもうひとつ心に残るのが、「教え込まず、碁を創る過程に参加させる」という言葉。これは、囲碁を教える立場の人みんなに届けたい一文です。

✅ 第5話のまとめ

  • 入門者がつまずくのは、「石を取る」と「地」を別々に教えるから
  • 審判を置くのは、公平さとマナーのため。「碁は3人単位」
  • 石の数で考えれば、「石取り」と「地」は1つにつながる

ここからは、碁の勉強というより、歴史やルールについての章が増えていきます。宮国さんの推理も多く入りますが、なかなか面白い考察です。続きは第6話「石を数える」から「地を数える」へでどうぞ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です